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2021.03.08
佐渡相川ではじめた二拠点生活ヒストリー(後編)ひとつの出逢いから見えた光/Lane株式会社 代表・雨宮隆三
#BORDERLESSヒストリー

こんにちは。雨宮です。

 
前回の記事では、2020年にサラリーマンを辞め独立した経緯、佐渡で仕事をする機会にめぐまれ二拠点生活をスタートさせたこと、佐渡相川の「まちづくり」に関わることになった過程をお話させていただきました。

 

うまくいくかも!と思いきや、ちょっとした壁にぶち当たります。

今日はそのことをお話します。

佐渡の事を知らない。まちの人を知らない。

2020年7月。佐渡観光交流機構と新潟日報社、NOTEの3者連携協定を締結することができました。

 

私は新潟日報社とNOTEをつないだこともあり、佐渡の地域担当として受託し活動する機会をいただきました。

佐渡相川地域の活性化を皮切りに、佐渡全島の地域創生を目指すプロジェクトです。

しかし実際、私には佐渡の知識がありませんでした。
島外の方にお会いし佐渡の魅力を語ることも、課題を伝えることができません。
いや、伝えることはできたかもしれませんが、私自身の言葉で語ることはできていなかったのです。

 
そしてなにより・・・

佐渡相川のまちの人を知らなかった。

私はまず佐渡観光交流機構を頼り、人を紹介いただいたり、集会に参加させていただいたりと、まちの人と一緒に食事をする機会も何度か重ね、関係性を築いていきました。

 

そしてある日、佐渡相川にて今後の活動を説明するための会合を開催したところ、多くの人が集まりました。

 

  • 佐渡相川地域で進めていきたい計画
  • 世界遺産登録後にあるべき地域の姿
  • 古民家を活用することで地域活性につなげていく仕掛け
  • それらが「まちの未来」につながるということ

 

説明会の時は我々が話していることに理解を示してくれていると思っていました。

しかし、その後に行った懇親会にはほとんど参加してもらえなかったのです。

 

来てくれたのは3人だけ。

 

刺さっていない。伝わっていない。

 

私はまちの人とホンネの会話ができていないということに気づきました。
なんとなくみんなよそ行きの会話。
お互いに懐をあけた会話ではないような違和感。

つまり私は、佐渡相川のまちの人と人間関係を築けていなかったのです。

 

佐渡相川と繋がれた一つの出逢い

しかしその会合の後の懇親会で一つの出逢いがありました。
3人だけ来てくれた中のおひとりの方。

OKESA Bar BUNZOのマスター、岩崎元吉士さん(アキさん)との出逢いです。
懇親会の席で隣に座った私は、彼と打ち解けました。その時はほどんどまちづくりの話はしていません。

 

年に1回佐渡相川にはプロレスを呼んでいるという話や、アキさんのお店で扱っているお酒の話で盛り上がりました。とくに私はアイラウイスキーが好きだったので、ウイスキーのことなどを教えてもらいながら。

 

最後は「あめちゃん!」「アキさん!」と呼び合うことを約束して別れました。この日のアキさんとの出逢いが、後のたくさんの経験や新たな出会いにつながっていくことになるのです。

ここでしか得られない体験、たくさんの出逢い

後日、アキさんのお店「OKESA Bar BUNZO」(おけさバーぶんぞう)に伺いました。
その翌週も、そのまた翌週も。ただ呑みにいくだけ。とにかく居心地がよかったんです。

 
そうしているうちにアキさんは、いろいろな人を紹介してくれたり、お店で行うイベントに誘ってくれました。
佐渡相川でしか得られない体験や、出逢いをたくさんいただくようになっていきます。

「北村酒店」を営む北村龍さんを紹介いただきました。
北村さんは佐渡相川で「AWGP」という活動を10年来行っており、毎年プロレスを誘致してまちづくりの活動をしている人でした。

 
天龍源一郎選手やライガー選手の引退ロードも誘致するなど、シンプルにプロレスへの愛が強烈に強い人。

私がプロレス好きと知ったアキさんがある日、北村さんをお店に呼んでくれて、そこから2時間くらいずっとプロレスの話。やはりその時もまちづくりの話は一切しませんでした。

 

しかしその後、北村さんが出演されている地元のケーブルテレビ番組に私を呼んでいただいたり、私が開催したイベントに北村さんが協力してくださったりと、とてもいい関係を築かせてもらいました。

夏の夕方に出会った「佐渡おけさ」

佐渡の伝統芸能「佐渡おけさ」の練習会に参加させてもらいました。
「OKESA Bar BUNZO」は、お客さんと一緒に「佐渡おけさ」を楽しめるお店をつくりたいという想いでアキさんがつくられたお店。

 
お客さんと一緒に「佐渡おけさ」を演奏し、唄い、踊る。そんな練習会をお店の前で定期的に行っています。

 

練習会に呼んでもらった私は、初めて生の「佐渡おけさ」を見ました。

 

そのときに見た「佐渡おけさ」は観光用のそれではなく、地元に根づいている「佐渡おけさ」

 
言葉でうまく表現ができないのですが、夏の夕方に佐渡相川の空気を感じながら見る「佐渡おけさ」はとても心地がよく、今でも忘れられません。

 

この練習会に参加したことがきっかけで、相川の重要文化財に指定されている建物「松榮家(まつばえけ)」で行う「松屋JAZZ」というイベントにお誘いいただくことになりました。

「松屋JAZZ」は第一回目の開催で、ほとんど地元の人しか参加しないイベント。ここでも地元の「佐渡おけさ」があり、とても貴重な経験をさせてもらいました。

 

他にもたくさんの出逢いに恵まれました。お世話になっているまちの人の話は、また別の機会に詳しくお伝えいたします。

まちづくりの活動に活きてきた。生まれる自信。

アキさんとの出逢いきっかけに、どんどん新しい出逢いが広っていきました。

 

まちの人と一緒にご飯を食べたり、個別にお話しを伺ったり。
アキさんのお店に呑みに行くと、まちの人や佐渡市役所の人との出逢いがどんどん生まれました。

 

軽く自己紹介してお話させていただくと、少しずつですが皆さんのホンネを聞くことができるようになってきたのです。
そしてそのホンネは「不満」などではありませんでした。

 

「やりたいことがあるのだけどどうすればよいかわからない」
「今までも期待してきたけど結局うまく行かなかった」
「もっとこんなやり方にしたい」
「この人を抑えるとうまくいく。紹介したい」

 

なかには、

 

「以前の会合に出たけれど言っていることがわからなかった。質問もしづらかったし。でもこうやって教えてくれてようやく分かった。だだし、あれについてはちょっと違うと思うぞ!」

 

まちの人と自然にお店で会い、普通にプライベートの話になる。
そんな自然体の関係性がお互いに懐を開き、ホンネの話がお聞きできるようになってきたと感じました。

 

2021年10月。あらためてまちづくりの会合を開くことになりました。

 
アキさんとの出逢いで地域との関係性ができていたということもあり、私が会合を仕切ることになりました。
私がまちの人に個別にお声がけさせていただき、そして会場を変えました。

 

その結果、上の写真の通り膝を付け合わせホンネを語る会が実現したのです。会合後の懇親会にも、参加者のうち一人を除いて全員が参加してくれました。

 

まちの人からいただいたチャンス。佐渡相川で創業。そしてこれから。

このころから地域の人にたくさん機会をいただくようになりました。

 
懇親会で知り合った佐渡総合高校の尾仲先生から機会をいただき、佐渡総合高校で授業をさせていただきました。

「サドテレビに出てもらえませんか?」

 
前述のAWGPの北村さんにお声がけいただき、AWGP-TVというレギュラーテレビ番組に1月の1ヶ月間、毎週1時間の番組に出演させてもらう機会もいただきました。

「相川の商売人の集まりに来てください!」

 
佐渡相川で商売されている若手経営者中心で開かれている会合「あきんど会」。
その代表から依頼を受け、定期会合でお話させていただく機会もいただきました。

 

このように少しずつ地域の人からお話する機会が増えていき、佐渡相川のまちの人との関係が深まっていきました。

 

それと同時に、初めのころ「3者連携協定」という縁だけで地域に入ろうとしていた私が、いかに無謀だったかということに気づかされたのです。

こうして私は、佐渡相川のまちに馴染むことができ、2021年1月に会社を登記し創業。「まちづくり」と「ひとづくり」の二つの活動を佐渡相川で行っていくことになりました。

ここまでが2020年に佐渡に入り二拠点生活をはじめ、創業するまでのヒストリーです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回は、関係を深めたまちの人と一緒にたちあげたまちづくり会社「相川車座」について、お話しようと思います。

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