こんにちは。新潟市在住の中林憲司と申します。
現在私はフリーライターとして活動しており、新潟県内の観光情報の発信などを行っています。
昨年の秋、BORDERLESS佐渡を主宰する雨宮さんと出会いました。
それから数か月経った現在では、BORDERLESS佐渡の活動にスタッフとして携わり、佐渡相川のまちの人とつながり、まちづくり活動に参加させてもうなど、とても貴重な体験をいくつもすることができました。
それまで佐渡相川とはまったく縁がなかった私でしたが、いまでは「もう一つの居場所」といえるほどハマっています。
この間、約4か月。
まさに人生のターニングポイントといえる経験をしました。
私が雨宮さんと出会いからBORDERLESS佐渡の活動に携わるようになるまでのこと。
そして佐渡相川に訪れ、まちの人と関わっていく体験や、そこで感じたことをお伝えいたします。
目次
私が雨宮さんと初めて出会ったのは2020年の9月。
新潟日報社と新潟三越伊勢丹の2社がコラボレーションして開催された「DUAL LIFE(デュアルライフ)~にいがたの宝物学~」という社会人向けの講座に参加したときに出会いました。
新潟三越伊勢丹からはトップバイヤーが選りすぐった新潟ならではの商品をピックアップし受講生に紹介し解説。新潟日報社からはその商品を伝えるための、新聞記事の書き方や生産者へのインタビューなどの講義が行われました。
20代から50代までさまざまなお仕事をされている方や学生が参加した「DUAL LIFE」は、まさに「大人の社会科学習」「大人のサークル活動」といえるような楽しい講座でした。
そのとき、主催の2社とともに参加者兼運営者として携わっていたのが雨宮さん。
企画段階から携わっている。
住んでいるところは大阪。
「最近、佐渡に家を借りて会社をつくった」
と話す雨宮さん。
一体どういうこと???
私の頭の中は「?」がいくつも並びました。
「DUAL LIFE」の場で何度か雨宮さんとお会いしているうちに、いろいろとお話をお聞きすることができました。
これまでのお仕事のこと、今後佐渡相川でまちづくりの活動を行っていくというお話をお聞きし、やっとなんとなく雨宮さんの活動がわかってきました。しかしこの時はまだ「なんとなく」。
私のこれまでの生活では、あまり出会わないタイプの人。
なんとなく自由で楽しそうな雰囲気をもった不思議な人だなという印象をもち、雨宮さんの活動にだんだん興味がわいていきました。
2020年12月に「DUAL LIFE」は全6回の講座が終了。
終了後も雨宮さんと連絡をとるなかで、大阪と佐渡相川の2拠点生活を本格的にスタートし「BORDERLESS佐渡」という活動を始められたとお聞きします。
どういった活動なのか?
なぜ佐渡相川なのか?
BORDERLESS(ボーダレス)とは何のか?
まだ私の頭のなかの「?」は消え切っていなかったのですが、その後に開催されたオンラインイベントにより、頭の中の霧は徐々に晴れていきました。
2021年3月に開催されたオンラインイベント「ローカルトーク 佐渡島 人生を味わう 離島座談会 〜UIターンのリアル &佐渡おけさ配信特別企画〜」に参加しました。
佐渡相川の重要文化財に指定されている松榮家(まつばえけ)から生配信されたオンラインイベント。歴史ある建物の雰囲気の中、まちのひとが登壇し金山のまち佐渡相川についてお話されていました。
佐渡相川のまちを盛り上げたい。
金山のまちとして栄えていたころのような活気のあるまちにしたい。
外部の企業や行政に頼るのではなく、自らが動いてよりよいまちの未来を築いていく。
佐渡相川を佐渡島外のひとにも知ってもらい、まずは訪れてほしい。
登壇者のみなさんの親しみやすい雰囲気と、地域の未来へのまっすぐな熱い思いを感じた私は、佐渡相川への興味がますます高まりました。
そして、BORDERLESS佐渡の活動についてとても高い熱量で話されている雨宮さん。
佐渡相川に関わることになった経緯、なかなかまちに馴染めなかった苦労、一つの出会いから活路が見えたことなど、一切カッコつけることなどなく、ざっくばらんに語られていました。
まちの人と何気ない会話をし、自然体で関わっていく延長線上にまちづくりの話や、仕事の話になる。
「仕事をするように遊び、遊ぶように仕事をする」境目のない生き方がBORDERLESS。
雨宮さん自身が今、佐渡相川で体現していることが「BORDERLESS」なのだと私は理解しました。
そしてこのオンラインイベントの後、雨宮さんからの関係者向け視察ツアーのお誘いをいただいたのです。
3月下旬。佐渡の山には雪が残りまだ寒さがあったものの、確実に春の訪れを感じはじめたころ。
雨宮さんと私を含め関係者5人よる「BORDERLESS佐渡・関係者視察ツアー」が開催されました。
このツアーはBORDERLESS佐渡として活動していく中で「モニターツアー」を計画しており、その前段階の視察として一部の関係者で実施されたもので、私もお誘いいただきました。
久しぶりに訪れた佐渡でしたが、私は過去に2回ほど佐渡観光をしたことがあり、佐渡金山をはじめ定番の観光スポットはだいたい訪れていました。
正直、それ以降は「一度見たからいいかな・・」という気持ちで旅行先に佐渡を選ぶことはありませんでした。
しかし、雨宮さんがプロデュースした関係者向け視察ツアーは、今まで行った佐渡観光とはまったく違うものだったのです。
佐渡の地質にとても詳しいまちの人にガイドいただき、佐渡島の成り立ちを学べるスポットを見学しました。
そのほかにも、
・江戸時代に栄えた京町通りを、まちのひとと一緒に散歩
・歴史あるお寺で住職のお話をお聞きし、座禅と写経を体験
・佐渡相川の居酒屋を巡り、まちのひとと一緒お酒をくみかわしながらの懇親会
・「佐渡おけさ」の流しに遭遇し、まちに根付く普段着の伝統を偶然目撃
など、ほかにも語りつくせないほどディープな内容が多数。
二日間の視察ツアーは、巡る場所ほぼすべてのところで地元のひととの出会いがありました。
ボランティアでガイドしてくれたひとの佐渡への地元愛。
雑談の中からとびだしてくる、佐渡の歴史にまつわるエピソード。
まちのひとといっしょにお酒を呑み、自然体のなかで打ち解けていく感覚。
雨宮さんがプロデュースしたこのツアーはまさに出会いの連続。
私の中での佐渡のイメージががらりと変わりました。
この視察ツアーの後、雨宮さんの活動により興味をもった私は、正式にBORDERLESS佐渡の事業に携わらせていただくことになりました。
4月。新型コロナウィルスの感染が再拡大し、首都圏をはじめとする都市を中心に緊急事態宣言がふたたび発令されました。
当初は4月から5月にかけ本格的にモニターツアーを実施する予定でしたが、開催は困難な状況となってしまったのです。
しかしその時、雨宮さんは別の動きをしていました。
それは、まちづくりの会社「相川車座」の発足をすすめて活動していくというものです。
佐渡相川の有志で結成された「相川車座」は、10年後いまより活気のあるまちにしていくため人を増やし、100年続く佐渡相川の未来をつくっていきたいという想いで結成された会社。
雨宮さんは「相川車座」事務局長として携わり、官民と連携して活動していく橋渡しを担っていました。その「相川車座」がキックオフイベント「ミライノキタザワ」を6月に行うことが決定。
BORDERLESS佐渡の活動としても、佐渡相川のファンを増やすことにつながるという点で目的が一致し、イベントを共催していく運びとなりました。
このような動きの中で私は、イベントにスタッフとして参加させていただくことになったのです。
<ミライノキタザワ・開催一週間前>
開催の1週間前。
雨宮さんから「現場の下見に来てほしい」とのことで、佐渡相川におとずれました。
「ミライノキタザワ」が開催される北沢浮遊選鉱場跡。
エリアごとに開催される催し内容を確認。当日のイメージがつかめました。
しかし雨宮さんの目的は、会場の下見だけではありませんでした。
その夜、相川の呑み屋さんに連れ出してもらい、そこでイベント当日に関わる「相川車座」メンバーと私を引き合わせてくれたのです。
(一軒目は、ザ・昭和の雰囲気満載の居酒屋「㐂よ」さんへ)
この時初めてお会いしたのが境伸幸さんこと通称「のんち」さん。
地元企業ではたらく方で、相川車座メンバーのなかでも冷静な視点で活動を支える重要人物です。
のんちさんとお酒を酌み交わし、お互いのことを話し合ううちにあっという間に意気投合しました。
しかし、この時はイベントの話やまちづくりなどの話は一切していません。
ただ私は自分の話をして、のんちさんの事や佐渡相川の事を聞いただけ。
のんちさんはとても親しみやすい雰囲気で、よそ者の私を迎い入れてくれました。
(OKESA BAR BUNZOにて。マスターのアキさんと、奥様の丹衣子さんと一緒に!)
この日は4件ほど居酒屋をまわりました。
「来週のイベントに手伝ってくれる中林くんです!」
わたしを連れていく雨宮さんは、行く先々で会うまちのひとや「相川車座」メンバーに、私を紹介してくれて、とてもありがたかったです。
今振り返ると、イベントの一週間前に訪れておおくの人と挨拶できたことは、とても大きかったと思います。
この日のおかげでイベント当日はお互いが既に顔見知りの状態となり、楽しくスタッフとして参加させていただけたと思います。
<ミライノキタザワ・当日>
いよいよ本番。
私は前日から佐渡相川に入り、当日の準備に携わりました。
「相川車座」メンバーと一緒にイベント準備を行い、会場設営や受付などを担当。
私が行った作業は全体のうちの一部分にすぎませんでしたが、佐渡相川という場所で、まちのひとと一緒にイベントに向けた共同作業を行えたことはとても貴重な体験でした。
この体験のおかげで、私のことを知ってくださった相川のひとが増え、私も「相川車座」メンバーをはじめとした、まちの人をたくさん知ることができたのです。
まちのひととの距離が一気に縮まった感覚。
よく考えると、1、2回しか会っていない人が多数です。
しかし1つのイベントで共同作業を行うということは、こんなにも短期間で距離を縮めてくれるのだということを実感しました。
そしてもう一つ気づいたことがありました。
それは、この活動に参加している人全員が、自ら進んでできることを探して行動しているということ。
けっして「仕事」としてやらされているような人は一人もおらず、まるで遊んでいるかのようにみんなが楽しそうに取り組んでいるのです。
本業の傍ら夜遅くまでイベントの準備をし、目に見えない苦労もあったようですが「まるで大人の文化祭だね!」と言っているまちのひとの言葉が印象的でした。
まさに佐渡相川に暮らすひとたちのBORDERLESSな生き方に触れた瞬間だったのです。
<参考記事>「ミライノキタザワ」イベントレポート
イベントを終え新潟市に戻った後、相川車座のメンバーやイベントで出会った多くの方とSNSでつながりました。
するとその輪はどんどん広がり、佐渡で活動している人の情報がどんどん入ってくるようになり、ますます佐渡との心理的距離が近くになりました。
「ミライノキタザワ」に携わらせていただいたことは、本当に大きな財産となりました。
以上、昨年雨宮さんと出会いをきっかけに、BORDERLESS佐渡の活動を通し佐渡相川に関わるようになって約4か月をお伝えいたしました。
この4か月で新しい世界の扉が開いたことは間違いありません。
それは佐渡への関心であり、
サードプレイスとしての佐渡相川の人とつながりであり、
「BORDERLESS~境目のない生き方~」というライフスタイル。
具体的な未来の姿はまだ見えてはいません。
しかしこの4か月の佐渡相川での体験は、私の人生にとってターニングポイントになると実感しています。
これからも引き続きBORDERLESS佐渡の事業に携わり、活動をしていきたいと思います。
今回お伝えした私の話が「BORDERLESS佐渡」に飛び込んでいった人の一つの事例として、皆様の参考になれば幸いです。